2012年12月27日木曜日

友達と授業に参加したいから…

2年前の話

授業中ずっと歌っている男の子がいました。

それが発達障害なのかという視点で彼を紐解くならば、
彼はADHDでしょう。そして、歌っている行動は発達障害が起こしていることであり、いた仕方ないことと理解されるかもしれません。
授業中歌っている行動は、問題行動として、対応策を考えることになるでしょう。



でも、男の子のしたいこと、する必要性を感じること、という作業の視点で紐解くならば、
男の子は友達が好きでした。彼はみんなと一緒に教室で活動することを大切にしていました。苦手な算数でさえ。
しかし男の子はじっとすることが苦しくて、授業中は走り出してしまいそうでした。友達を叩いてしまいそうでした。だから、男の子はできるだけ友達に迷惑をかけず、みんなと授業に参加するために、歌って心を落ち着かせようとしていました。
と理解することができます。

歌っている行動は、「苦しい授業にも友達と一緒に参加したい」という、男の子の想いから生まれた行動であり、男の子の可能性も感じます。支援は問題行動の対応ではなく、男の子の想いが詰まった生活を実現させるためのものになるでしょう。

ここから生まれる支援に
私は子どもと先生の想いを感じます。




誰でも作業に焦点を当てられることができるように…

ADOCs

2012年12月26日水曜日

怒られたときの子ども達の反応と想い


大人になったら怒られることなんて少ないのに
どうして子どもの時はこんなに怒られることが多いのでしょうか。
子ども達って大変ですね…
男の子が3人になった我が家でも
気づいたら注意ばっかりしてしまう自分に気づきます。
反省ばかりです。

さて、
注意した時子ども達はどんな反応をしますか?
拗ねて背を向ける…
聞こえない振りをする…
逆に怒って返す…
巡回相談でも、子ども達のいろいろな反応と出会いますが
その反応に、子ども達の“想い”を感じます。
注意されたことに対する想い。



うちの息子は食事中座っていることが苦手でした
「こら!机の上に脚を上げちゃだめでしょ!!」
注意されると息子は、聞こえない振りをしてスローモーションで脚をおろすことがありました。
息子のその様子から
食事中姿勢を正して食べなくては行けないことを知っていること、
食事中姿勢を崩してしまったことを親に見られたくなかったこと、
ちゃんと食べられることを親に認めてほしいということ、
・・・そんな息子の“食事をすることに対する想い”を感じます。
食事中姿勢を崩すことはいけないことですが
息子の想いを尊重するならば
やりたくてもできずに一番困ってるのは息子本人だったのだと思います。


注意してしまう行動はどうしてもでてきてしまいますが
それが「できる」か「できない」かだけでなく
注意したときのその子の反応も含めて
“それをすることにどんな想いをその子は持っているのだろう”
という視点で見てみると
子ども達の素敵な想いを感じることができます。
この視点は「子どものしたいこと、する必要があると感じていることはどんなことだろう?」という、子どもの作業に焦点を当てて一緒に考える視点だと思います。



ちなみに、
私が短気のため、すぐに息子を注意してしまうのですが、時々
「こら!・・・でもわかってたんだよね。どうしたらできるか一緒に考えてみよう」
と声をかけています。息子に“だめなことをちゃんとわかっている君を、認めていますよ”というメッセージを送るためです。それが息子のしたいことですから。
息子はとても嬉しそうですし、できないことにも何度もチャレンジするようになってきています。




2012年12月14日金曜日

先生達が支援に目標を持てること




巡回相談をしていて目標を持てないまま支援をしているケースは少なくありません。

いや・・・実際のところ、目の前の問題に対応することを目標にしているか、持たないまま支援しているケースがほとんどでした。


少し前になりますが、ある学校で
授業中出て行ってしまう、友達にすぐ暴力を振るってしまうという4年生の男の子の支援に関わりました。
お聞きしたところ、1年生の頃から気になる行動は多く、悩んできたとこのと。
先生方は沢山の時間を使い、試行錯誤してきたが、上手くいかず今もどうしていいかわからないとのことでした。そして、その支援には目標がありませんでした。

目標を持てない理由に
1.先生が目標(期待)を持っていいという意識を持てない。
2.目標をどのように立てたらいいのかわからない。
3.問題への対処が目標だと思っている。
4.医療的リスクに責任を持てない。
などがあると、現場から感じています。

特に4番目の理由は、「発達障がいについて理解しましょう」という強い流れが、「発達障がいへの対応をしましょう」という流れを引き起こした結果じゃないかと思います。
「発達障がい」について、専門家ではない先生や親は当然、その対応という支援に、責任も希望も持てないので目標もあげられない、将来なんて創造できない。だから目の前の問題をひたすら対処することになり、1、2、3番目の理由も起ってしまうのだと思います。


・・・ということで、
「先生が彼の将来に向けて届けたい教育は何ですか?」
を必ずはじめに聞いています。

教育は先生の専門であり、この質問から引き出されることは「先生が届けたい教育」という名の先生の作業です。
だからこそ、そこには先生の想いがあり、それを届ける先をイメージできます。
もちろん目標を持つこともできるのです。
そして、その目標を達成することで叶えたい将来を創造することができます。
その将来と目標をみんなでわいわい話し合ったら、
「どうしたら叶えられるかな」
「どうやって実現しようかな」
ってもうワクワクしてくるでしょ。

実際、こんな風に先生と面談していると、先生の表情が変わっていきます。
自分の届けたい教育に、先生自身がドキドキしているようです。
私はそんな先生の姿が好きです。



あの時の男の子は…
そんな先生達に囲まれて1ヶ月後、授業で手を上げ発言するようになりました。
衝動的に友達に暴力を振るうことに対し、彼自身が先生と一緒に気持ちを抑える方法を考えたそうです。

そして、その成長に一番喜んだのは、先生達でした。
それは、先生の届けたかった教育だったから。




「先生の届けたい教育は何ですか?」
それを学校の中で大切にしていけるために
ADOCs(小児版ADOC)を作っています