2012年6月26日火曜日

料理という作業

退院して5年
自分の生活を家族ともう一度作り
今は地域で生活されている方が
学生のために学院に来てくださっています・・・。






その方が語ってくれた料理への想いは、もう諦めようと心に蓋をした作業でした。



以前は魚をさばくところからやっていた程、
その方の中で価値があった料理に対し
「今は息子がやってくれるんだ。それでいいんだ」と語り始めました。

作業療法士が
「料理がもう一度やりたいんですよね、本当は」
なんて作業を印籠のようにつき出せば
消えてしまいそうな作業でした。




「今は友達の船の掃除も手伝ってるよ」
『どうして手伝うようになったのですか』
「手伝えば新鮮な魚をもらえるんだよ」


「奥さんが仕事から帰るまでに米を炊いておくと助かるだろ」


「息子にさばき方を教えたんだよ。でもまだまだだなー」


『沖縄の魚をあつかったことがなくて。グルクンはどんな調理法方がいいんですか?』
「刺身だろう。でも、唐揚げもうまい。腹に切り込み入れて…」






"料理"という作業を直視せず
作業のワンピースを一つ一つはめていくような面接でした。

お互い、話のゴールが何となくわかってる。
でもそれをあえて明確にせず

途中で話題を変えることもできる環境のなか
変えないことを自分で選んで
話を進めていくような面接でした。





2回目に学院に来てくださったとき。

「いい魚を貰ってね。さばいてみたんだけど無理だった。息子がちょうど帰ってきたから交代したよ…」

‥1つ大きなピースがはまりました。

『どんなところが大変でしたか?』

その問いに正面から答えてくれるほど、作業は形になっていきました。





3回目に学院に来てくださった日
難しいとこの方が感じた“魚をさばく遂行部分”を解決できるまな板を
学生がつくって披露しました。

魚を片手でさばいていく学生を見て
「違うよーここはだなー‥」
と包丁を手に取り、この方自身がさばいていきました。


その手つきは流石でした。
でもその事に感動したのは
その方自身と、私と、そして学生たちでした。


ここまでのこの方と私が一つ一つはめてきた関わりを
学生自身も理解した瞬間だと
学生達の表情から感じました。




学生が
『まな板、魚をさばくには小さいですかね』
と話すと

「いいや。使い方を工夫すれば大きな魚もさばけるさ。」
と答えていました。








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